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横浜発ボランティアバス 第2陣 (7月6〜9日) |
釜石市で復興支援活動を終え、無事帰浜 |
今後とも長期的に継続を |
第2陣は、市・区社協職員、医療職、市災ボラ運営委員他、横浜市内各区で活動しているボランティアなど総勢35名。7日早朝、釜石市災害ボランティアセンターで受付け。活動内容紹介後、全国からの救援物資の被災者へ配布する『青空市場』の運営、被災ビル内の瓦礫を含めた撤去作業、津波の被害を受けた高齢・障がい者宅庭の草取り等の整理の3班に分かれスタートした。 草取り班の指定された家庭は、大槌湾に面した釜石市箱崎町にあり、町の中心部からかなり離れた場所までの一帯が津波による大きな被害を受けていたこともあり、地図に示された場所がなかなか判明できず、尋ねながら、やっと行き着いた。約280軒の集落だった箱崎町は、津波で約9割が流され、水道もやっと数日前の7月2日に回復(一部はまだ)したそうだ。当家も津波避難場所から大分上ったところだが、床下浸水したそうだ。 特にビル内の撤去作業では、中には危険を伴うようなものもあったが、注意しながら行っていた。 曇り時々晴れの状態の中、どの作業も皆汗だくではあったが、いい汗をかかせてもらった、普段やらないような作業であったが、皆と力を合わせ行えた、小さな支援ではあるが達成感を味わった、などと語っていた。
市内には適当な宿泊場所がなく、当日の宿泊場所はバスで1時間半ほどかかる遠野ふるさと村。途中、遠野市の清養園で入浴しさっぱりと。遠野ふるさと村は、日本を代表する茅葺民家「南部曲り家」で、森林の中に清流もあり、蛍がちらほらとみられ、一日の疲れが吹き飛ぶほど。 翌日6時起床、7時バス・スタートで釜石に向かう。8時半に市ボラセンで受付、ボランティア作業の説明と必要用具貸出しを受ける。今日の割当てされた活動内容は、青空市場の応援と津波被災場所の瓦礫等の撤去・整理の2班に分れた。青空市場の作業は短時間で終了したため、その後瓦礫等撤去作業に合流した。 現場は海に向かって左岸の川沿いの一角。海から1q強の位置。民家、サケの人工孵化場(川沿いには3か所あったが、すべて被災したとのこと)、水道ポンプ場などがあった場所。土の表面は大型建設土木機械で多きなものは撤去されているが、散在している瓦礫を熊手、クワなどを使い、また手作業で木質、瓦、金属類、その他と内容別に分別集積した。当初は、あまりの乱雑さ、その量と面積の広さで、どこから手を付ければ、といった状態だったが、全員が、協力し合いながら丁寧に撤去していくうちに整理されていき、見違えるようになっていった。雨の予想もあったが、幸い降らず、しかし暑さで、熱中症を懸念し、一定時間ごとに休憩と水分補給するように指示が飛んでいた。 作業する中で、写真や賞状,免状、置物など個人の貴重品と思われる物も発見され、市ボラセンでの対処方依頼するものもあった。作業終了後は、清流で長靴、ゴム手袋などを洗い、中には気持ちがいいと言いながら、顔も洗っているたちもいた。
市ボラセンに戻り、作業報告、作業用具類の返却を行い、ボランティア活動は終了。バス前とボラセン前で一同で記念撮影。帰途中、風呂で汗と疲れを流し、夕食を取るため、マース北上という、北上市にあるアミューズメント・スパに向かった。そのバスの中で、今回のツアーに参加した全員が、この活動での感想、意見などを発表。事務局としてはこれら意見を後陣のツアーや今後の『災害ボランティア活動』の参考にしたい、と結んでいた。 皆口々に、誰でもが参加できるこの企画の素晴らしさ、ボラ意識の高いメンバーと同行できたこと、小さいながらも救援活動に参加できたこと、お互いに顔の見える関係が広がるよう、こういった企画を続けてほしいこと、災害ボラセンの活動の一端を垣間見、参考になったこと、被災地の現状を目のあたりにし、その凄さを認識したこと、救援活動をこれからも長く続けなければならないこと、などと語っていた。 泉区からは、乾英昭(泉区災ボランティア連絡会運営委員)、岩場辰夫(同連絡会会員)、江尻哲二(同連絡会副会長)の3氏が参加した。 |