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「地域のつなぎ手としての災害FMの役割」研究会が、3月17日(日)17時から、かながわ東日本大震災ボランティアステーション(災害情報グループ)主催のもと、かながわ県民センター講義室で開かれ、横浜、川崎、鎌倉、逗子、茅ケ崎など県内各地から、災害情報に関心のある人たちが集まっていた。
災害時における被災地での情報共有の在り方研究の一環として、また県内のコミュニティFMの日頃からの繋がり作りのきっかけとなることを目指し、NPO法人陸前高田市支援連絡協議会(AidTAKATA)統括の菅野塁氏、陸前高田災害FMメインパーソナリティ阿部裕美さんを招き、まず東日本大震災で被災地となった同市における災害FMの状況について語ってもらった。 AidTAKATAは、企業・学校・団体との協力でチャリティイベント開催、諸外国との連携、陸前高田展開催などを通し、災害の風化防止と防災意識啓発に取り組んでいる。その活動の一環として、災害FMの運営を行っている。 陸前高田災害FMは、諸事情により2011年12月にスタート。素人集団での作成。スタッフはパーソナリティ、制作者含め4名。放送は月〜土曜日のAM9時〜PM7時まで、日曜日も含めたその他時間は、すべて再放送を流している。自主制作8割、そのうち市民参加番組は8割と、市民の声を多く流している。中国人も在住しており中国語放送も。毎日、また曜日を決めての番組内容の紹介から始まり、災害に関しては、体感震度2以上、震度4以上、津波注意報・警報発令から解除まで、スタッフが街に出てツイッターで情報発信、それを速報的に放送している。警報発令で電話は規制されるので、インターネット利用している。 その時のスタッフの対応として、@各種WEB情報からの初期情報を緊急放送、A市役所からの避難所開設、小中学校の避難、浸水地域などの各種情報をツイートする。B3・11時に浸水した地域の各種店舗を回り、ツイートする。C海岸近くの道路、がけ崩れなどの情報を市民からのツイッターで入手により、市内の生活情報をツイート。パーソナリティは休みなく読み上げることとなる。防災無線はこだまして聞き辛いし、高齢社会ということもあり、また仮設住宅はネット環境が整っていないので、インターネットを活用できる割合が低く、ラジオしか聞けない市民が多い。 市内に向けての放送だけでなく、、サイマルラジオを通じて、パソコンやスマートフォンがあれば、全国どこでも常時聞くことができるようになっており、他地域に避難している人も多いことから、それらをつなぐ役割も持っている。また、全国のFM局との連携も図るようになり、各局での陸前高田局の情報を流す機会も増えてきている。 臨時災害放送局免許が今年末に切れることになっており、延長が認められるか未定。コミュニティFM移行には資金面から難しい。しかし、仮設住宅が解消される数年後までは継続したい。そのためには、市民に「今後とも必要だ」と思ってもらう必要があり、さらに今後は復旧・復興期の市民に対する情報提供だけでなく、「心の復興」にも心がけたい。そして「地域に特化した、市民に喜ばれる放送局を目指している。また、震災直後の急性期も含め、今後も市民と市民をつなぐ存在でありたい」と結んだ。 休憩後、FM同士の繋がりや、SNS情報の利用について、災害FMの可能性、限界などについて、質疑応答も交え、意見・情報交換となった。 SNSの管理について、今まで問題はなかったが、ガイドラインはあった方がよい。発災14日後に携帯がつながった。電気は4日後。発災直後にFMが使えるとよかったが…。 陸前高田市でも、避難所となっていたところで被災した人が多くいた。避難所が「災害から身を守る安全な場所」であるとは限らない。安全な場所への避難は自己責任という考え方を。 避難所の学校に食料など備蓄がなかった。避難所は災害時に逃げる場所でアなく、落ち着いてから滞在する場所では。 最後に、菅野さん、阿部さんの声が印象的であった。「本当に尋常でないことが起こってしまった。最初の1年は生きていくのに必死だった。次の1年はいろいろ思い出す1年だった。思い出しては涙が出てしまう1年だった。そしていま疲れがピークに来ており、行政も市民も子どもたちも体調・バランスを崩し始めている。これからがキツイ1年になると思う。 神奈川の人たちには感謝の気持ちで一杯です。これからも、具体的に何をとは言えないが、体とお金に余裕のある限り、支援してほしい。みんなギリギリのところで頑張っているので、これからも忘れないでほしい。」 |
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陸前高田災害FM: http://tunein.com/radio/Rikuzentakata-FM-805-s152093/ |