|
|
|
関東大震災字の状況を話す翠川さん |
東日本大震災を契機に、東海地震、首都圏直下型地震、三浦半島活断層帯地震などの発生がいつ起こってもおかしくない現状から、泉区における影響を研究しようと、泉区歴史の会(会長:翠川宣子氏)は、歴史講座『大災害と江戸・東京」を8月27日、28日の2日間、中和田コミュニティハウスで開催した。
初日は、山本純美氏による「江戸の火消しと防災体制」。江戸時代には飢饉、地震、大火が頻発したが、人災の面も強く、特に大火は10年に1回、しかも冬の北西風、春の南西風の時期に放火によるものも多かった。人口の50%を占めていた庶民は20%の面積に集住し、度重なる災害から運命連帯意識、助け合い精神が強かった。時代と共に道路拡幅(広小路)、火除地造成、火の見櫓による通報、備蓄、診療、貸付制度などの施策に加え、消火用具類の開発、町火消などの防災組織も育っていった。
|
|
3.11の被災体験を語る大橋さん |
|
2日目は、「もし東海地震が発生したら」として、関東大震災の被害から学ぼうと、翠川氏は、当時の新聞記事などの資料を基に横浜の惨憺たる状況を、また泉区周辺、当時の中和田村や長後街道の被害状況について紹介した。
引続き、3.11に宮城県石巻市で地震と津波の被害を受け、現在横浜市の公営住宅に避難されている大橋悌一さんによる体験発表があった。津波が押し寄せる中、町内の安否確認を行った後、家族とともに避難所までいけない状態となっていたことから、同町内の他邸宅の2階に3泊4日避難。避難所(高校)へ移り、3月一杯そこで生活。停電、断水、灯油なし、電話通じない中、自衛隊の救助でしのいだ。当初は食べる物も分け合って。トイレや給水、衛生面の苦労も。避難所の運営では、自治組織を作り、避難者による自主運営を図った。避難者をある単位で班を作り、班別にリーダーを決め、毎日リーダー会議で情報交換等を行い、いろいろな作業を分担し合った。
これら体験を通じ、他人とのつながりの大切さを実感している、と語った。 |