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釜石からのメッセージ  第1部
東日本大震災を経験して、発災時の状況、その後の課題
町内会長、民生委協議会長、社協事務局長、障がい者支援施設長が語る

シンポジウムで  
 シンポジウムで  
 東日本大震災発生からほぼ1年、被災地の生の声を聴き、改めて継続的支援を考えるとともに、自らも防災や見守り、支え合いの充実を図るきっかけにしようと、瀬谷区社協、二ツ橋第二地域ケアプラザの主催、瀬谷区役所の共催で「釜石からのメッセージ」と題した講演&シンポジウムが2月22日(水)瀬谷区公会堂で開かれた。

 釜石から出席の同市両石町内会長 瀬戸元氏、民生委員児童委員協議会長 高橋利徳氏、社会福祉協議会事務局長 矢浦一衛氏、釜石・大槌地域相談支援相談員 藤原伸哉氏が、それぞれ東日本大震災での経験や課題について冒頭説明した。
  500名定員会場もほぼ満席に近く
  500名定員会場もほぼ満席に近く

 270世帯、人口680人、高齢化率40%の両石町は、典型的なリアス式海岸に面した浜部落で、3・11の津波で、215世帯が流出、45名が犠牲となった。冒頭瀬戸会長自ら撮影した津波の状況が放映され、その恐るべき勢いと惨憺たる状況に、会場も皆目を凝らしていた。明治、昭和の三陸大津波時にも壊滅的被害を受け、その教訓を基に対策をしてきたが、結果的に未曾有の被害を受けた。ただ教訓を生かし、また訓練の効果で地震後20分という早期に99%が避難、安否確認も早急に対応。町内4か所の避難所で2日間孤立状態。津波の時には、鬼となった心を持て!“命てんでんこ”や“天災は忘れたころにやって来る”という先人の教訓は、その通りだ、と瀬戸会長。

 民生の高橋氏は、同市8地区のうち津波被害を受けたのは4地区、委員147名のうち、死亡4名、負傷3名、配偶者死亡3名と説明。命てんでんこ、は分ってはいるが、責任感から委員は犠牲になってしまうことがある。現在震災後の委員の活動の悩みなどをアンケート集計中。委員が課題として感じていることは、家族の介護力低下による認知症増加、厳しい気候・環境から孤独死発生の懸念と心のケアの必要性、地区会長や生活支援相談員などとの連携などを挙げた。

 社協の矢浦氏は、支援対象が避難所から仮設住宅へ、活動依頼内容も泥出しなどから生活支援の移行してきたため、昨年12月に、災害ボランティアセンターから『社協生活ご安心センター』という名称に変更した、とした。現在は冬季ということもあるが依頼件数は減少しているが、生活支援相談員が拾ってくるニーズに合わせ、内職系、じちかいとの共同イベント、傾聴、自殺予防などの活動を展開している。今回の大震災から言えることは、@速やかに避難すること、それも自分の判断で。自分の命が第1である。Aマニュアルを見直してほしい。いろいろな状況をイメージして。夜間の場合なども。そして備えを、としていた。
シンポジウムメンバー  
 シンポジウムメンバー  

 支援相談員の藤原氏は、被害が特に大きかった山田町、大槌町、陸前高田市などを対象に「障がい者相談支援センター」を4月に開設、行政機能の回復を図った。避難所生活者を訪問では、個人情報の壁が、在宅生活者では情報や物的支援の問題など二ついて語った。

 それぞれの発表後、横浜プランナーズネットワーク理事長 山路清貴氏の進行で、シンポジウムに移った。今一番大変と思っていることは、ということに対し、両石町内会長 瀬戸元氏は集合移転候補地区が、近くに病院がない、買い物に遠いなどで、町民に受け入れられず、現在公民はバラバラな避難先となっており、復興に向け意見集約ができにくいこと、復興計画が見えず、先が見えないことを。マニュアルの話題に対し、話し合いを基に頭の中でイメージし、それをルール化、マニュアル化すべきで、実際の状況に合わせ柔軟な対応が必要だ。防災教育・情報の共有の大切さ、地域における民生と自治会との連携、地域内のネットワーク、震災時は行政も混乱しており、行政はもっと地域、民間に役割を振るべき、などの意見が出されていた。

 最後に、進行役から、これからについて一言を、と促され、瀬戸氏は「千年の身らにに向かって復興する。」と語ると、場内から拍手が巻き起こっていた。