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とつか災害ネット 防災フェスティバル
自助、自助、自助に尽きる
岩手県山田町の被災者が語る!

  悲惨で、苛酷な体験を話す浦辺さん
  悲惨で、苛酷な体験を話す浦辺さん
 「今まで地元で、それなりに防災訓練に参加をし、自助・共助・公助連携の大切さや防災知識はあったが、実際に津波の被害をまともに受け、あくまでも自助・自助・自助に尽きる、と今感じている。」と津波被害を自宅で受け、何もかもを失い、現在横浜市西区に移住してきている浦辺利広さんは語る。

 とつか災害救援活動ネットワーク主催の「 防災フェスティバル」が1月29日(日)、フレンズ戸塚で開催され、13時から講演「被災者が語る!岩手県山田町からの報告」が行われた。講師は浦辺さん。3・11に山田町で震災と津波に遭い、その後も数週間にわたり同地で避難生活を続けた苛酷な体験、同地での状況を赤裸々に語った。

 地震被害は、それほどではなかった。当初津波は3mとの報道であったし、5mの防潮堤があるため気にしてはいなかった。また高い防潮堤のため海の状況は内側からは見ることができない状態。気が付いたときには防潮堤を超えてきた。妻と犬と自宅にいた。第1波で2階の畳にも及び、第2波では完全に2階にも押し寄せてきたが、その後引き波がものすごい勢いで逆流してきた。すぐそばを若い女性が助けを叫びながら乗っている屋根が流され、助けようにも助けられない状況だった。1階は柱だけが残った状態だが、そのおかげで2階にいた我々は命は助かった。
講演会の会場  
 講演会の会場  

 むなしさの塊であった。ただ生き残っただけが幸いという意識もあったが、ただ茫然状態であった。水が引いたので、町役場に向かった。ぬかるみと瓦礫の中、安全を確認しながらのため、100m進むのに1時間かかる。夜の7時過ぎに到着。毛布は、すでに先に来ていた避難者に支給され品切れ、すし詰めの状態で雑魚寝だが、眠れない。3日間食欲も出ず、何も食べなかった。トイレは数時間でてんこ盛りの状態。高齢者、障がい者など、遅れてくる人たちの入る余地もなく、役所の事務所に、という交渉も規則上、入れられないの一点張りで決裂。

 1週間で、別の避難所へ移った。食事等救援してもらった。だんだんそれを受け続けることに、自分がみじめになってきた。何か自分でできることを、ということで4月になって山田を離れ、現在横浜に来ている。
 行政の姿勢、態度、行動には、いろいろ問題があったが、警察、消防、自衛隊等の特殊公務員の救援活動には、感謝の気持ちで一杯だ。
 
 テレビ、ラジオ、新聞などの報道や、我々の話だけでは、本当の姿はわかってもらえないと思う。ぜひ直接現地を見てほしい、と結んだ。